しょ~がなかった

2008-07-20 10:11:33

しょ~がなかった

 広島、長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言して防衛相を辞任した自民党の久間章生衆院議員(長崎2区)が、今年8月9日の「長崎原爆の日」に長崎市で開かれる平和祈念式典に出席する意向を市に伝えていたことがわかった。久間氏は昨年6月の発言後、「関係者に迷惑をかける」として昨夏の式典を欠席した。長崎市の被爆者5団体は「発言は取り消されておらず、被爆者への謝罪も済んでいない」と反発しており、久間氏の欠席を求める構えだ。

http://www.asahi.com/politics/update/0719/SEB200807180033.html

 防衛相辞任後の昨年9月に長崎県庁で記者会見した際にも「被爆者に不愉快な思いをさせた」と陳謝。

だが、「原爆投下を容認する気持ちはなかった」として発言を撤回していない。

 撤回していたら無節操な政治家として恥の上塗りだっただろう。

長崎への原爆投下は、アメリカが一方的に決定したことだから事実「しょうがなかった」のである。

アメリカは原爆投下によって本土上陸作戦が回避され犠牲が少なくて済んだ、また長引けば原爆犠牲者以上に多数の国民が餓死した、という理由をもって一般市民を無差別に殺戮した作戦を正当化している。

ポツダム宣言中の「新型爆弾」を日本の軍部が信じず、早々に降伏しなかったのが悪いとの論理である。

被爆者団体の「しょーがなくはない」という言い分は、つまりこの戦勝国の論理を追認したものである。

しかし、この論理を容認したとしても、それは広島に限った話である。

長崎への投下は、明らかに軍事作戦としての合理性が乏しい。

当時手持ちが一発しかなかった虎の子の原爆である。

本来なら、広島投下後に再度降伏勧告をし、なお黙殺するなら使うというのが合理的だった。

にもかかわらず、ほぼ降伏が確実な状況で駆け込み的に使用したのはアメリカが民主国家だからである。

即ち、広島で使ったウラン型に比べ高度な技術を要し、開発にコストがかかっているプルトニウム型原爆が全く戦果を上げていないのでは後で予算の無駄として議会で追及される心配があったから、軍はどうしても使いたかったのだ。

即ち、長崎市民は軍事作戦によって殺されたのでなく、アメリカの議会対策のためだけに虐殺されたのである。

したがって、2発目の原爆投下は米軍にとってはそもそも既定方針であって、日本政府に回避する時間を与えないことになっていたのだ。

だから「しょ~がなかった」は厳然たる事実であり、事実を直視して発言した政治家を吊し上げるような運動の方がおかしいのだ。

国内政治家の揚げ足取りに終始し、何の役にも立たない千羽鶴を折るしか能がない反核団体・被爆者団体は世界の核軍縮に関して何の貢献もしていない。

地球上において、核兵器に関し決定権を持っているのはアメリカ・ロシア・中国・フランス・イギリス・イスラエル・台湾・インド・パキスタン・北朝鮮の10カ国だけである。

10カ国のうち、中国と北朝鮮を除く8カ国は一応民主的な選挙によって政権交代が可能な国であり、その国民の過半数に対して核兵器が不経済で役立たずな兵器であることを納得させるアピールが出来なければ核兵器は絶対に減らない。

被爆者団体が行っているような「悲惨な被害のアピール」はむしろ彼らに核兵器の威嚇効果を確信させ、増強をまねくから全くの逆効果である。

ましてや、何の当事者能力もない日本の政治家に対するつるし上げなど無意味だ。

そもそも式典に政治家を呼ぶなら、日本の政治家よりもインドやパキスタン、イスラエル辺りで核兵器の保有意義に疑問を掲げそうな政治家を選んで招待すべきなのだ。


[ written by pinksaturn ]

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