ある意味では学位も商品だ
2009-02-04 21:06:13
ある意味では学位も商品だ
医学博士号の授与をめぐり東京医科大学(東京都新宿区)の教授たちが医局員らから謝礼として現金を受け取っていた問題で、同大では、学位取得に伴って金銭を授受しないよう文部科学省が通知した昨年3月以降も授受が続いていたことが関係者の話でわかった。
文科省の通知は昨年3月19日、横浜市立大学で博士号の取得をめぐる現金授受が発覚したことを受けて、全国の国公私立大の学長あてに出された。「学位の国際的な通用性・信頼性を損なうことにもなりかねず、極めて重大な問題」とし、学位審査の透明化と通報・相談窓口の設置、関係者への周知を求めていた。
学位審査に非正規な謝礼が絡むことはもちろん好ましいことではない。
だが、高等教育への財政支援が貧弱な日本における大学経営の実情に鑑みれば、ある意味で学位を商品として扱わざるを得ないのも現実だ。
まず日本と欧米では「博士号」の意味が違う。
日本の博士号には大学院博士課程を修了して得る「課程博士」と、企業や旧文部省管轄でない国研の研究員が大学外であげた研究業績についてまとめた博士論文を審査して認定される「論文博士」が混在している。
即ち、学歴としての博士と学歴でない業績に対する評価証明としての博士が併存する。
そして過程博士に関しても実態としては在学中の論文件数といったノルマが修了要件として課されている。
つまり、原則は「業績評価証明」である。
また最近は純然たる論文博士から社会人入学による過程博士への移行が主流のようだが、社会人入学者の実態は全日制学生と明らかに異なるから手続きが対外的に透明化したと言うだけのことで本質は論文博士とそれほど変わっていない。
欧米には昔から過程博士しか存在しないから博士号=学歴である。
「論文博士」の意義は、大学外における優良な業績を認定することで大学の見識を世に示し、大学の価値を高めることだ。
これは全てが建前だけに終わっているわけではなく、理想的な事例もある。
著名な例としては、尿から覚醒剤を検出する技術を開発した警察鑑識課員が医学博士号を授与された件などがある。
錯乱による凶悪事件をまねく覚醒剤の取り締まりに画期的な方法を編み出したことによる公共の利益は大きいし、科学的成果だから博士号認定をもって評価することは当然だった。
一方で大企業が自社研究員の博士号取得に対する支援として大学に対し寄付や委託研究の発注をするといった事例も存在する。
バブル期には、企業丸抱えで寄付講座を設置し既に博士号を持つ幹部研究員を教授として出向させるといった大がかりな寄付も一部で流行した。
このような例ではある意味博士号が商品として取引されている。
もちろん当事者は相応の業績を上げているはずだからこれが直ちに不正だとはいえない。
しかし大学への経済的支援が論文審査に対する心理的圧力となりうることは避けがたい。
そんな大がかりな博士号商品化が公然となされる一方で、引用記事のように医学部における謝礼だけがことさら厳しく糾弾されるのは不公平な気もする。
医師は高齢になれば大多数が開業し、個人事業主となる。
医院の看板を飾るために博士号を買いたがるのも道理である。
これは企業が人事施策の一環として自社研究員の博士号取得を支援するのと道義的な違いは殆ど無いだろう。
論文捏造を認識しながら合格させるといった無茶苦茶なケースは論外だが、教授が懇切丁寧な指導をして合格に導きいくばくかの謝礼を得るのまで非難すべきことだろうか。
そもそも日本では高等教育予算がケチられているため、宗教スポンサーが付いた一部私大などの例外を除けば大学教授の給与が安い。
謝礼程度の副収入が加わったとて、到底その能力や多忙さに見合った収入が与えられているとは言い難い。
おそらく戦前の大学制度が出来た時代に学者になる人は地主階級など資産家の次男三男が多かったため、ボランティア的な扱いがまかり通ってきたのだ。
謝礼の悪習を非難し厳禁を徹底するなら、大学教官の低賃金もそれと表裏一体の悪習だから能力と働きに見合うよう見直さなければ片手落ちである。
そのための予算措置もせずに禁止通達だけ出した文部官僚は無責任極まりない。
[ written by pinksaturn ]
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